松山地方裁判所 昭和40年(ワ)97号 判決 1966年9月20日
原告 木谷商事株式会社
被告 大野末光
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金二一七、六〇〇円およびこれに対する昭和四〇年四月三日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、次のとおり述べた。
一、原告は被告から昭和三八年一二月二五日被告所有の松山市南立花町一丁目七七番地の五所在五階建建物のうち、二階三号室を賃借するにあたり、保証金として金二五〇、〇〇〇円を被告に預託した。その後、原告は昭和三九年一一月二一日右賃借室部分を被告に返還した。
二、よつて、原告は被告に対し、前記保証金のうち被告に支払うべき金員を控除した保証金残額金二一七、六〇〇円およびこれに対する訴状送達の翌日たる昭和四〇年四月三日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。以上のように述べ、
被告の抗弁事実一のうち、被告主張の日に原告会社が金三〇〇、〇〇〇円の穀物売買委託保証金の預託をうけたことは認めるが、その余の点は争う。宮内正徳は、原告会社松山出張所外交員であるが、原告の代理人ではないから、原告の代理人であることを前提とする被告の主張は失当である。
二の事実中、山本是清が原告会社の松山出張所長であつたこと、同人が被告主張の如く同出張所の賃貸借契約を締結したことは認めるが、原告会社は、被告主張の特約なるものに関知しないし、山本に対しかかる特約締結の代理権を授与したこともない。また、青木は原告会社に昭和三九年三月一日入社したものであるから、同年一月一五日頃に前記山本に対し特約締結の許諾を与えるはずがない。また、被告主張の特約書面の山本の名下の印は、同人の個人印であるから、この点からしても、山本のなした特約なるものは、原告会社とはなんら関係がない。また、被告主張の山本に関する表見代理の主張は、失当である。けだし、被告主張の如き特約は、明らかに仲買人たる原告会社に損害を蒙らしめるものであつて、一般の商品取引の常識に反し、到底正当性を認めることはできないから、かりに、被告が山本につきかかる特約を締結する権限ありと信じたとしても、その信じたことにつき正当な事由があるということができない。
以上のように答え、再抗弁として、次のとおり述べた。
(一) 被告が原告会社に預託した穀物売買委託証拠金三〇〇、〇〇〇円は、被告と原告会社との間の穀物商品取引の委託契約の結果生じた損失により、金七、四〇〇円を残してすでに消滅している。すなわち、被告は原告会社松山出張所との問に昭和三九年二月一四日小豆一〇枚四月限月の売委託をはじめとして、同年一〇月一〇日迄小豆および大手亡の取引をしたが、右取引は被告が原告会社松山出張所に対し、直接または同所所属外交員宮内正徳に対し包括的委託の方法によつてなしたもので、その結果、被告の原告会社に預託した委託証拠金三〇〇、〇〇〇円は、金七、四〇〇円を残して、損金に補てんされた。よつて、被告は、委託証拠金をもつて、原告請求の本訴保証金返還請求権と対当額で相殺することはできない。
(二) また、被告の予備的抗弁たる特約は、次の事由によつて無効である。すなわち、被告主張の如き商品取引の委託をしても被告に損失をかけないという特約は、仲買人保護のため委託証拠金制度を法定している商品取引法第九七条および同条の趣旨に則つた大阪穀物取引所受託契約準則第一五条ないし第一七条の規定の精神に明らかに反し、違法、無効である。
以上のように述べ、
立証<省略>
被告訴訟代理人は、主文第一、二項と同旨の判決を求め、答弁として、原告主張の一の事実は認めると答え、抗弁として、次のとおり述べた。
一、被告は原告に対し昭和三九年一月一二日穀物売買委託証拠金として金三〇〇、〇〇〇円を預託した。そこで、被告は、昭和四〇年六月三日午前一〇時の本件口頭弁論期日において、前記委託証拠金返還請求権と原告の保証金返還請求権金二二五、〇〇〇円とを対当額において相殺する旨の意思表示をした。よつて、原告の本訴請求は失当である。
二、かりに、右抗弁が容れられず、被告に原告主張の損金の支払義務があるとしても、被告は原告との間に、原告請求の保証金を返還しないでよいという特約を結んでいるから、原告の請求は失当である。すなわち、被告は、昭和三九年一月一五日、当時原告の代理人であり原告会社の松山出張所長であつた山本是清との間に、「穀物売買の取引につき被告に損金を生じても、原告は被告に金三〇〇、〇〇〇円を超えては支払の請求をしないこと、右三〇〇、〇〇〇円の限度においては前記証拠金をもつて補てんする。この場合、原告は本訴の敷金については、右補てん額と同額において、その返還を請求しない。」旨の特約を結んだ。
右特約をなした前記山本の代理権限は、原告会社代表者もしくは原告会社の表見支配人たる本店営業部長青木伸夫より授権されたものである。
そうでないとしても、山本は原告会社の松山出張所長であり、同出張所は、原告会社が商品取引所法第四四条により従たる営業所として主務大臣に届出た営業所であつて、実質的には支店であるから、その営業の主任者たることを表示した松山出張所長山本是清は商法第四二条の規定に基づく表見支配人であり、したがつて、同人のなした特約について、原告会社は責を負うべきである。
かりに、右主張が容れられないとしても、同人は原告会社から松山出張所長として同事務所の賃貸借関係、松山地区における原告会社の商品取引の受任等の対外関係のほか同出張所の内部関係の事務処理一切を委されてきたものである。しかして、前記被告と山本との間の特約は、外観上右山本の委任の範囲内に属するか、これに付随する事項とみられるものであり、被告は善意無過失にて右山本と前記特約を結んだものであるから、山本に右特約締結の代理権限がないとしても、商法第四三条または民法第一一〇条の規定に基づき、原告会社は前記特約の効力をうけるべきものである。
以上のように述べ、原告の再抗弁事実につき、
(一) 原告主張の(一)の事実中、原告主張の初回の分すなわち昭和三九年二月一四日小豆一〇枚四月限月のものについては、原告会社に売委託をしたが、その余の分については、何らの委託をしていない。しかも、右初回分は、被告が原告会社松山出張所長山本是清に対し委託したものである。
ところで、原告は、被告が原告会社松山出張所所属外務員宮内正徳に対し商品取引の包括的委託をしたと主張するが、かかる事実は存しない。のみならず、仲買人たる原告の使用人に対しかかる包括的委託をすることは、商品取引がその性質上、仲買人と委託者との間に利害相対立する関係にあるから制度上も許されないばかりでなく、双方代理禁止の法理に照らしても許されないから、無効である。
(二) 原告は、被告主張の特約が無効であると主張する。なるほど、かかる特約は異例かも知れないが、商品取引所法および原告主張の準則に前記の如き特約を無効とする規定は存しないのみならず、仲買業者中には、従来から営業政策上、この種特約をするものもあるのであつて、経済力の優れた仲買業者が自ら危険を負担することを約しても、なんら公序良俗に反するものではない。このような特約が仲買業者間の公正競争その他よりして好ましくないものであつても、このことは仲買人と顧客との特約の効力に消長をきたすと解すべきではない。
以上のように述べ、
立証<省略>
理由
原告が被告から昭和三八年一二月二五日被告所有の松山市南立花町一丁目七七番地の五所在五階建建物のうち、二階三号室を賃借するにあたり、保証金として金二五〇、〇〇〇円を被告に預託したこと、その後原告が昭和三九年一一月二一日右賃借室部分を被告に返還したことは、当事者間に争いがない。
そこで、まず、被告主張の相殺の抗弁につき判断する。
被告が原告に対し昭和三九年一月一二日穀物売買人委託証拠金として金三〇〇、〇〇〇円を預託したことは、当事者間に争なく、被告が右委託金返還請求権を自働債権とし、保証金返還請求権金二二五、〇〇〇円を受働債権として、昭和四〇年六月三日午前一〇時の本件口頭弁論期日において相殺の意思表示をしたことは、原告の明らかに争わないところである。
ところで、原告は、右委託証拠金返還請求権の消滅事由として、原告会社松山出張所との間に被告は昭和三九年二月一四日小豆一〇枚四月限月の売委託を初回として、同年一〇月一〇日迄小豆および大手亡の取引をし、右取引は被告が同出張所に対し直接または同所所属外交員宮内正徳に対し包括的委託の方法によつてなし、その結果、被告の原告会社に預託した委託証拠金三〇〇、〇〇〇円は金七、四〇〇円を残して、損金に補てんされたから、被告主張の自働債権は消滅していると抗争する。
しかして、被告が原告会社松山出張所に対し昭和三九年二月一四日小豆一〇枚四月限月の売委託をしたことは、被告の認めるところであり、証人山本是清の証言(第一回)によつて真正に成立したと認める甲第二号証の一、二および被告本人の供述によれば、委託にかかる取引により、被告は、金六、〇〇〇円の利益を得たことが認められる。
さて、その後の被告と原告との間の取引委託契約成立について、原告は被告から委託をうけたと主張し、被告はこれを否認するので、この点について検討を進める。
ところで、商品売買取引の委託は、広く国民全体によつて活用されるところから委託者に不測の損害を与えることのないよう委託者を保護する必要があり、そのため、商品取引所法は、とくに、売買取引の委託がどのようにしてなさるべきであるか、また委託者の保護のために商品仲買人はいかなる事項を遵守すべきであるかを定めている。たとえば、同法第九一条第一項は、営業所又は事務所以外での受託を禁じ、第九五条は、委託した売買取引が商品市場で成立したときは、遅滞なく商品仲買人から書面で成立価格、成立数量、成立日を通知すべきこととし、さらに、第九六条は、商品仲買人のする受託業務は、取引所の定める受託契約準則に従つて行わなければならないと規定している。しかして、前記受託契約が準拠すべき大阪穀物商品取引所受託契約準則(成立に争のない甲第五号証)によれば、第四条第一項には、委託者が売買取引を委託するときは、そのつど、左の事項を仲買人に指示するものとすることとして、商品の種類等八項目を挙げ、さらに、第五条では商品取引所法第九一条第一項と同旨、第八条では、同法第九五条と同旨の各規定を設けていることが認められる。もつとも、法および前記準則は、受託契約の成立に関し、要式行為を要求しているわけではないが、受託者保護の見地から、法は、仲買人が売買取引の受託をするについては、前記準則によらなければならないと規定していること前記のとおりであるから(商品取引所法第九六条第一項)、仲買人たる原告が被告から売買取引の委託をうけたというためには、前記準則第四条所定の事項、すなわち被告が何月何日、どのような取引を具体的に委託したかというような事実を準則の規定に沿つて立証すべきである。
このような観点から、まず、被告が原告会社松山出張所に対し原告主張の如く直接、売買の委託(但し、初回の分を除く。)をしたかどうかについて検討すると、これに添う証拠としては、甲第二号証の一ないし三の被告に関する原告会社備付帳簿、甲第三号証の一ないし二六の売付報告書、甲第四号証の一ないし二八の買付報告書の各控が存するほか、被告本人の供述中、被告が右甲第三、四の各号証の本証たる報告書を受領しているとの供述部分が存する。しかしながら、本件取引は前記のとおり、商品取引の受託契約であるから、委託者に対し不測の損害を蒙らせることのないようにするためには、とくに契約の成立につき明確にする必要があり、さればこそ、前記準則もそれ相当の配慮をはらつているのであるから、原告が被告から受託をうけたというためには、原告会社備付の書類に所要の記載があつたというだけでは足りず、さらに、被告が自ら委託をしたとの明確な証拠を提出しなければ、委託契約の証明として十分とはいえない。また、被告が報告書を受領したとの点は、それだけでは、いまだ被告が無権代理権行為の追認をしたと認定することができないのみでなく、証人渡辺丸夫、同山本是清(第一回)の各証言および被告本人の供述によれば、被告は、前記報告書は、被告が何ら委託をしないのに勝手に送付されてきたものであるから、承認できないと再三、松山出張所長であつた山本是清に抗議をしたことが認められるから、被告が直接、原告会社松山出張所に対し前記委託をなしたとの主張は、採用できない。
次に、原告は被告が原告会社松山出張所所属外務員宮内正徳に対し売買取引を包括的に委託したと主張し、被告は包括的委託は、商品取引の性質上も双方代理禁止の法理からも許されないと抗争し、これに対し、さらに原告には宮内は原告会社の外務員にすぎず、代理人でないと主張するので、この点について判断する。
さて、さきにも触れたように、商品取引所法第九一条第一項は、営業所又は事務所以外での受託を禁じ、かつ委託の勧誘についても、一定の資格を有し、登録をうけた外務員に限定して委託の勧誘を許容しているのみである。その法意が外務員の不正手段による委託契約の成立を防止し、併せて委託者に不測の損害を蒙らせることのないようにするためであることは、推測するにかたくない。したがつて、同条は、原告主張の外務員による包括的委託なるものを許容する趣旨とは到底考えられないし、また、同条の規定の精神に照らせば、同条は委託者保護の強行法規と解するのが相当である。
しからば、原告会社松山出張所外務員宮内正徳が被告から売買の包括的委託をうけたことを事由として被告との間に委託契約が成立したと主張することは、前示のとおり、包括的委託そのものが許されないのであるから、その存否につき判断を加えるまでもなく、主張自体、失当として排斥を免れない。
よつて、原告の再抗弁は、その余の点について判断を俟つまでもなく、失当である。
そうだとすれば、被告は原告に対し、さきに認定した委託証拠金三〇〇、〇〇〇円の返還請求権を有することとなり、したがつて、被告が原告に対し昭和四〇年六月三日になした右請求権を自働債権とし、原告の被告に対する本訴保証金返還請求権二二五、〇〇〇円を受働債権として対当額で相殺する旨の意思表示に基づく、抗弁は、理由があるといわなければならない。
よつて、原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 糟谷忠男)